友達と全く会ってない
連絡が一切ないという訳でもなければ、会う気がないという訳でもない。さらにこれから合わないこともない。
でもなんか違う気がした
実際以前ブログにもみんなが人生の道にどんどん前に進んて、私一人が知らず知らずのうちに止まって残されたように書いたんだけど、最近はそれもちょっと違う気がし始めた。あるいはそれだけじゃない気がした。
もし再会したら多分普通に挨拶するし、勿論私がついていかない話題がたくさん出たり、置いて行かれた感が湧いてきったりと思うけど、でもそれ以上の違和感は多分ないと思う。
じゃ一体何が違うだろう
ただ自分が感情ぶってるかもしれない。
それでもいいと思うけど
ちなみに何年前に昔の友達に手紙を書いた。またブログで。もちろん絶対読まれていないし、別に読まれたくないもないけど。
感謝の言葉を書いた。
でも多分向こうに対してはなんの意味もないことが前からわかってる。
人と人の関係、繋がりで、本当に微妙なもんだよな
私はあの時に一体どの女の子が好きでしたのか
いまだによくわらないけど
どの女の子も、私のことが好きでなっかたことを、ずっと前から知ってた
それで十分な気がした
どのみちにしても、過去という遠い場所にいる人に対する様々な感情は
時間に沿ってその殆どが軽々に意味のない物になったと思う
ちなみに某アジア超大国の国家事情の関係で、昔のブログもすでにサイトことにまること消えちゃった。
めでたし。めでたし
平成の最後の日は海に行きったくなった。
海に行きたい。
ずっと行きたい。
海は世の中に、数少ない理由もなく行ける、貴重な場所である。
行くならすごく簡単。家から出って、まず新橋へ、次は横須賀線か新宿なんらか線を乗って、鎌倉まで一時間、そこから歩く、海に着くは多分30分がかからなっかた。
でももう何年も行ってない。ラーメン屋と無印良品以外、どこにも行ってない。
一人暮らしは大の得意だけど、
一人旅はどうしてもできなくて。
理由ないから。
会いに行く人なんで、
十年前にいるかもしれない。いないかもしれない。
青春は一体なんだろう
私はこれまでこれから何本の青春映画をみっても
多分終始わからなかった。
多分永遠にわからないと思う。
私は一体大人になったんだろうか
変わったか 変わってないのか
三十もすぐだし、ロクに働いていないし、働ける気もないし、
友達作れないし、大事なこと全部先延ばしし、毎日努力してないし、毎日努力しない自分に絶望するし、
決して何か立派な大人にもなってないし、
将来そういう大人になることも多分ないだろう
足元を見っても
何度もみっても
どこに立っているのも
どこに向かっているのも
ずっとわからなかった。
唯一よくわかったのは
青春はどうしても、帰ってくれないことが、確かであった。
過去の青春にいった友人だち、
過去の青春にいった私、
元気ですか
私は元気ではありません
それでも生きています
PS. 私は断固たる涼子派です
PS.. マジボロボロな日本語だな。ワラ。