第26届法罗岛电影节第2个放映日为大家带来主竞赛单元的《原野四十九日》,下面请看场刊影评人们的评价了!
果树
最大的特点就是满,台词满,配乐满,剪辑满,美术也满。加上三小时的时长,基本上看下来整个人是爆炸的。剧本问题很多,但认真看下去,会发现导演的处理让电影呈现出了奇异的死前幻觉般的特质,与回望、告别的内核是非常契合的,其实很厉害。
麦麦
二战、核弹感觉是日本文学、影视创作永远的母题,也是摆脱不去的阴影。回到电影本身,无论是对白还是场景,都有浓厚的舞台剧感。群像复杂、剪辑飞快,有点眼花缭乱的感觉,其中蕴含的内意 也很厚重,战争的伤痕与惨痛、家族血脉的联系、生与死的观想等等。人生不过就是出生死亡的轮回,世界又何尝不是如此呢。
George
真的有点看不下去这种
一桶猫
一如既往不喜欢大林宣彦的风格 舞台剧感重 对白过于密集 剪辑凌乱 再大的命题也如坐针毡
Joeyside
冗长的无聊和难看,不过有意思的是和是枝裕和相同的一点是都涉及了日本当代家庭的逐渐死亡和消弭。
子夜无人
确实因为先看过《花筐》和《海边电影院》,对他的视觉风格已经适应到无法带来新的刺激,但没有想到连主题也是如此一致。一个家族的葬礼渗透的是对一个国家命运所有最糟糕的设想,哪怕历史的惨痛和战争的悲剧总是不断被提及,但人类永远都会重蹈覆辙。而愚妄既然仍在轮回,我想我们就不能对大林宣彦感到厌倦。
Run Erika Run
一上来就是高速的剪辑和子弹般快速发射的对话,片中人物二次元般略微不自然的举止像是导演有意为之,和高色彩对比度的画面形成了本片独有的风格,这是电影最吸引我的地方但有时过于刻意强调形式也让人感到厌烦。开头从高龄老人的离世引入,整个家族的画卷徐徐展开,从生活的细微处着笔,平淡地讲述311大地震和二战战败在日本人心中的隐痛,而不加以解读。片中人物对于生死这类沉重的话题并不避讳,甚至在葬礼上坟墓前轻松交谈,死亡并不是生命的结束,四十九日的祭奠之后意味着灵魂进入重生的轨道,而对于留在世上的人来说是新生活的开始。原野上的人们演奏祭奠的歌谣,在美丽而寂寥的故土上行进着,就像生命本身,不断向前奔流,不断轮回,生生不息。P.S. 神無小阿姨长得好像中村一叶
约克纳帕塔法
青い空は動かない、
雲片ぎれ一つあるでない。
夏の真昼の静かには
タールの光も清くなる。
我略知她一二
当我们讨论311大地震和第二次世界大战的时候,大林宣彦作为一个日本人又在想什么呢?二战是缠绕了近代日本导演几十年的鬼魂,311更是近十年让日本影人无法入睡的午夜梦回,宏大的创作母题在大林宣彦手下并没有变得气势汹汹,而是融入生活里的点点滴滴,四十九日的祭奠不是旧生命的结束,对所有逝去和活着的人来说更是新生活的开始,你看那原野上的乐队,不停地演奏,不停地唱响,不停地步履,不停地走向未来。
##第2日的场刊将于稍后释出,请大家拭目以待了。
有被大林监督安利到,不过翻了几篇译文,没什么感觉,然而日文也看不懂,依旧复制粘贴了过来
羊の歌
安原喜弘に
Ⅰ 祈 り
死の時には私が仰向(あおむ)かんことを!
この小さな顎(あご)が、小さい上にも小さくならんことを!
それよ、私は私が感じ得なかったことのために、
罰されて、死は来たるものと思うゆえ。
ああ、その時私の仰向かんことを!
せめてその時、私も、すべてを感ずる者であらんことを!
Ⅱ
思惑(おもわく)よ、汝(なんじ) 古く暗き気体よ、
わが裡(うち)より去れよかし!
われはや単純と静けき呟(つぶや)きと、
とまれ、清楚(せいそ)のほかを希(ねが)わず。
交際よ、汝陰鬱(いんうつ)なる汚濁(おじょく)の許容よ、
更(あらた)めてわれを目覚ますことなかれ!
われはや孤寂(こじゃく)に耐えんとす、
わが腕は既(すで)に無用の有(もの)に似たり。
汝、疑いとともに見開く眼(まなこ)よ
見開きたるままに暫(しば)しは動かぬ眼よ、
ああ、己(おのれ)の外(ほか)をあまりに信ずる心よ、
それよ思惑、汝 古く暗き空気よ、
わが裡より去れよかし去れよかし!
われはや、貧しきわが夢のほかに興(きょう)ぜず
Ⅲ
我が生は恐ろしい嵐のようであった、
其処此処に時々陽の光も落ちたとはいえ。
ボードレール
九歳の子供がありました
女の子供でありました
世界の空気が、彼女の有であるように
またそれは、凭(よ)っかかられるもののように
彼女は頸(くび)をかしげるのでした
私と話している時に。
私は炬燵(こたつ)にあたっていました
彼女は畳に坐っていました
冬の日の、珍(めずら)しくよい天気の午前
私の室には、陽がいっぱいでした
彼女が頸かしげると
彼女の耳朶(みみのは)陽に透(す)きました。
私を信頼しきって、安心しきって
かの女の心は密柑(みかん)の色に
そのやさしさは氾濫(はんらん)するなく、かといって
鹿のように縮かむこともありませんでした
私はすべての用件を忘れ
この時ばかりはゆるやかに時間を熟読翫味(じゅくどくがんみ)しました。
Ⅳ
さるにても、もろに佗(わび)しいわが心
夜(よ)な夜なは、下宿の室(へや)に独りいて
思いなき、思いを思う 単調の
つまし心の連弾(れんだん)よ……
汽車の笛(ふえ)聞こえもくれば
旅おもい、幼(おさな)き日をばおもうなり
いなよいなよ、幼き日をも旅をも思わず
旅とみえ、幼き日とみゆものをのみ……
思いなき、おもいを思うわが胸は
閉(と)ざされて、醺生(かびは)ゆる手匣(てばこ)にこそはさも似たれ
しらけたる脣(くち)、乾きし頬(ほお)
酷薄(こくはく)の、これな寂莫(しじま)にほとぶなり……
これやこの、慣れしばかりに耐えもする
さびしさこそはせつなけれ、みずからは
それともしらず、ことように、たまさかに
ながる涙は、人恋(ひとこ)うる涙のそれにもはやあらず……
夏の日の歌
青い空は動かない、
雲片(ぎれ)一つあるでない。
夏の真昼の静かには
タールの光も清くなる。
夏の空には何かがある、
いじらしく思わせる何かがある、
焦(こ)げて図太い向日葵(ひまわり)が
田舎(いなか)の駅には咲いている。
上手に子供を育てゆく、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
山の近くを走る時。
山の近くを走りながら、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
夏の真昼の暑い時。
凄じき黄昏
捲(ま)き起る、風も物憂(ものう)き頃(ころ)ながら、
草は靡(なび)きぬ、我はみぬ、
遐(とお)き昔の隼人等(はやとら)を。
銀紙色の竹槍(たけやり)の、
汀(みぎわ)に沿(そ)いて、つづきけり。
――雑魚(ざこ)の心を俟(たの)みつつ。
吹く風誘わず、地の上の
敷(し)きある屍(かばね)――
空、演壇に立ちあがる。
家々は、賢き陪臣(ばいしん)、
ニコチンに、汚れたる歯を押匿(おしかく)す。
帰 郷
柱も庭も乾いている
今日は好(よ)い天気だ
椽(えん)の下では蜘蛛の巣が
心細そうに揺れている
山では枯木も息を吐(つ)く
ああ今日は好い天気だ
路傍(みちばた)の草影が
あどけない愁(かなし)みをする
これが私の故里(ふるさと)だ
さやかに風も吹いている
心置(こころおき)なく泣かれよと
年増婦(としま)の低い声もする
ああ おまえはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云(い)う
夏
血を吐くような 倦(もの)うさ、たゆたさ
今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り
眠るがような悲しさに、み空をとおく
血を吐くような倦うさ、たゆたさ
空は燃え、畑はつづき
雲浮び、眩(まぶ)しく光り
今日の日も陽は燃ゆる、地は睡(ねむ)る
血を吐くようなせつなさに。
嵐のような心の歴史は
終ってしまったもののように
そこから繰(たぐ)れる一つの緒(いとぐち)もないもののように
燃ゆる日の彼方(かなた)に眠る。
私は残る、亡骸(なきがら)として、
血を吐くようなせつなさかなしさ。
(一九二九・八・二〇)
汚れっちまった悲しみに……
汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かわごろも)
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる
汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む
汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気(おじけ)づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
臨 終
秋空は鈍色(にびいろ)にして
黒馬(くろうま)の瞳のひかり
水涸(か)れて落つる百合花(ゆりばな)
ああ こころうつろなるかな
神もなくしるべもなくて
窓近く婦(おみな)の逝(ゆ)きぬ
白き空盲(めし)いてありて
白き風冷たくありぬ
窓際に髪を洗えば
その腕の優しくありぬ
朝の日は澪(こぼ)れてありぬ
水の音(おと)したたりていぬ
町々はさやぎてありぬ
子等(こら)の声もつれてありぬ
しかはあれ この魂はいかにとなるか?
うすらぎて 空となるか?
这部片子有些晦涩看不懂,尤其是常盘贵子所扮演的人物像是个幽灵,不知道她怎么就能青春常驻而不老。其实常盘贵子所扮演的清水信子,是山中绫野(安达祐实饰)的重生。
山中绫野与铃木光男、大野国朗三个人在大学相识的时候才十六岁。铃木光男那时是二十四岁。
大野后来去了库页岛塔路町的煤矿医院工作,而光男则希望绫野去把大野找回来。于是在1945年8月15日,光男带着绫野坐渔船去库页岛找大野。
大野喜欢画画。他在库页岛上医院开水房一角的工作室,完成了坐在藤椅上的绫野。
而光男和绫野都认为穿着衣服的人体,画的是遮蔽身体的衣服,而不是这个人的本身。
光男和绫野没有找到大野。大野只是在这幅画的下面留了一封信和一个邮政储蓄的存折,「貳百貳拾七圓五拾九錢」,存折的名字已变更到铃木光男的名下,大野说这是留给他们的生活费。
绫野抱住光男,要求光男一定要画一幅裸体的自己。光男也抱住了绫野。
这就是光男与绫野的青春。但光男那时并没有画绫野的机会。
日本人普遍都认为战败是在1945年8月15日,这一天是日本天皇向全国“玉音放送”,宣布投降。
可是海对面的国家普遍都认为是9月2日。1945年9月2日上午九点,在停泊在东京湾的密苏里号上,由麦克阿瑟主持了日本投降的签字仪式。
而对爷爷来说,战争的结束是在9月5日。
光男与绫野是在8月15日登上库页岛的。但苏军并没有因为日本已宣布投降而停止掠夺邻国的领土,而是趁机在第二天的8月16日登上了库页岛。
塔路煤矿医院二十三名护士为了避免受辱而喝下了氰化钾集体自杀。
那天下午2:45,一个苏联兵冲进医院强奸了绫野。光男拿起身边的铲子,朝着骑在绫野身上苏联兵的脖子就铲去。绫野哀求光男也杀死自己······那年绫野十八岁。
所以铃木光男的手表就永远停留在了2:45,唱片中播放的一直是苏军战斗机的轰鸣声,他心里所挥之不去的是战争的阴影。他之所以想记住这一切,是为了避免重蹈覆辙。无论是日本,还是其他的国家,永远都不要战争。
直到8月25日,库页岛仍在苏军的炮火之中。日苏战争是9月5日结束的。但是南千岛群岛所包括的国后岛、择捉岛、齿舞岛、色丹岛,至今还被苏俄占领着。
铃木光男(品川彻饰)有两个儿子。
冬树和春彦是长子的两个儿子。
秋人和神无是次子的一对儿女。他们的父母很早就在车祸中死去了,后来就一直跟着爷爷一起过日子。
清水信子来的时候,正好也是十六岁。铃木光男一见清水信子,就觉得这正是活在自己记忆中的山中绫野,所以光男对她说:“等你很久了”,“二人同行,让我们一起踏上征途吧”。
中原中也的那本《山羊之歌》,原来曾经是山中绫野在1943年8月15日十六岁生日的那天买下的。清水信子又恰巧是在1988年8月16日她十六岁生日的那天,在二手书店中买下了它。
春彦的妻子远藤节子还记得十六岁时的清水信子,她们是同年级的同学。但清水信子从来没有改名为铃木信子。
清水信子在秋水和神无小的时候充当他们的妈妈。她在十七岁的时候就作为监护人出席秋人的小学毕业典礼。在她十八岁生日的时候,铃木光男说要开始画信子。他是把信子当成绫野来画。但这幅画只有秋人在找“妈妈”时看到过一次,他看到爷爷在画裸体的“妈妈”。从此秋人就迷失了。
据说人死后,魂魄就会游离于躯体,在原野中漂浮不定。要到七七四十九天的终结之日,魂魄才不再彷徨,才能得以安定,人才能够又得以重生。所以清水信子在铃木光男死后的四十九天,重新回到了旧时当过护士的芦别医院,回到了光男的身边。两人一起回到光男二十四岁,绫野十六岁的那个夏天。“二人同行”至此结束了。
这是三小时的电影结束我还很清晰记得的地方;还有光男爷爷的咖啡,秋子哥哥喜欢的女孩良子手作的头饰;
这样的镜头不止四处,其实还有的;整部电影有很寂寞的感觉,但也不是寂寞... 三个小时结束,不是那么容易看懂,但因为涉及到日本的战争、地震;包括导演反战的想法。
所以我决定并不去纠结于电影本身的情节和故事。许多地方模模糊糊的雾一般。
最后光男和大野的对话:回到家里,大家都是凡人;人是会像文学作品里那样生活的。
原野四十九日。绝对不能忘了的中原中也的那首诗《夏日之歌》:蓝天怡然不动,夏日之正午......
光男和绫野在战争时的那个拥抱,影片结尾光男爷爷和信子的拥抱,二人之行结束了。然后我想起信子刚来到光男爷爷身边时,他对她说,要珍惜以后一起生活的时间啊。
因为不知道人何时会离开,人与人何时会再也不见各一方;所以一定要珍惜啊。
其实电影里让我觉得最美的人,不是信子。是绫野;绫野的饰演者是安达祐实,她是童星演员,现实中的生活跟人们预想的不一样。嗯,不能说是唏嘘,像电影般的人生。
光男爷爷对神無说:因为太喜欢才会疼。那么爷爷手上那两道永远存在的红色伤痕,爷爷的画里都会有的红色。是因为太喜欢了所以疼的吗?因为太喜欢了,所以疼了一生。
连手也在疼,连画也在疼,却说自己却也不寂寞;我不知道光男是否寂寞,寂寞也好,寂寥也好。不寂寞也好,不寂寥也好。
他活到了九十二岁,遇见了绫野,遇见了信子;我想他寂寞但也幸福。
除了光男爷爷,大野与他在苏联的妻子;神無与若杉;节子与芭蕾舞男演员;重与秋子哥哥;秋子与良子.......
无论是谁,都有着重要的人。这是没有办法变通的事情。而生死除了轮回,就是与人之间的羁绊了。